2021年10月23日
21年に及ぶ日記収載期間のあいだ、兼家は出世もしていますが、ときには官職が不遇で宮中への出仕をひかえる時期もありました。たとえば上巻において、兵部大輔になった兼家と上司(章明親王)とのやりとりの記事があります。兼家は「ねぢけたるものの大輔」(伝本によって異同あり)と、その時期は宮中に行かず作者邸へよく顔を見せるようになります。その間、作者も交えて上司との交流を行うのです。
この記事は「作者と高貴な人物との交流を記す」として、『蜻蛉日記』の特徴や性質を論じる際によく用いられるものです。しかし作者ばかりに目を向けるのではなく、「兼家の立場」という部分にも注目できるのではないでしょうか。もちろんこの記事の主眼は章明親王とのやりとりや兼家が通ってくれることの喜びかもしれません。とはいえ、宮中に出仕しているわけではない作者がこのような身分の人と交流するきっかけとなったのは兼家の官職不遇です。夫にとっては困難な状況が、作者にとっては喜ばしい事態を齎してくれたということになります。
『蜻蛉日記』は兼家の要請によって作られたとする説が有力ですが、兼家の立場がよいとは言えない時期においても、その状況を作者の目を通して記述することが許されていたようです。平安中期における男女の関係や女性の地位(立場)を考える上でも面白い作品なのごはないでしょうか。