2021年10月09日
『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母の夫は藤原兼家です。道綱はもちろん兼家の子ですが、兼家には他にも子が多くいます。最も有名なのは藤原道長でしょう。兼家には『蜻蛉日記』作者以外にも妻がいました。中でも「正妻」格と思われるのが時姫です。道長や『枕草子』などで知られる道隆も、この時姫の子です。
兼家は「九条流」と呼ばれる血縁の中に位置づけられます。父・師輔は早くに亡くなりましたが、子ら(兼家の代)は権力に近い場にありました。特に長男・伊尹、次男・兼通、三男・兼家はその地位を確実にしていきます。また、姉妹の安子は村上天皇の後宮に入り、そうした九条流の足場を固めていました。
『蜻蛉日記』には兼家の兄弟たちが権力を握っていく時期の記事が記されています。とはいえ、もちろん女性である作者がそうした権力争いをあからさまに記述している訳ではありません。しかし、兼家の官職に言及することはありますし、伊尹や兼通に関わる記事も収載されています。このような記事から兼家周辺の状況を推測するのも、『蜻蛉日記』を読む楽しみのひとつと言えるでしょう。